「悟り」と言われるものの一端を垣間見たことがある。
その状態は一ヶ月ほどで消えてしまったのが。うつ病になる前の話だ。
世界がとても静かだった。
不安や後悔というものがなく、必要なことに必要な順序で自動的に集中力が向けられる。
雑念が入ってこず、最小限の力で対象に焦点を合わせることができた。
ものごとの良い部分が心に入ってきた。
普通の人の優しさ、一生懸命さ、美しさ、格好良さ、その人らしさ。
普通の景色の平等さ、やさしさ、強さ。
普通の食べ物の美味しさ、力強さ。
悪いものは心が捉えず、したがって自然に流すことができた。
身体が軽く、全身が少し痺れたような感覚で満たされている。
どこにも力は入っていなかったが、どちらの方向にも素早く、最短距離を、やはり最小の力でブレることなく動けた。
視線は外の世界全体にゆったりと向けられていたが、目の端でなにかの小さい動きまでとらえることができた。
数秒先の情景が、あらかじめ見えるようなこともあった(経験から予測できる情景を、頭が描いたものと思われる。それが時々、目の前の実際の情景に先行する)。
よく分からないが、鼻の少し上あたりを軽くつままれたような感覚があるのが特徴的だった。
良くない点として、集中力が使われすぎているためかすぐに眠くなった。
無我の境地
アスリートが経験するという「ゾーン」や、武道家が目指す境地という「脱力」などの言葉がよぎる。
自分が、感覚だけの存在、または単なるエネルギー体になってしまったような不思議な感覚。
人間の強さや弱さ、自由というもの、人間の能力と言われているもの、人格と言われているもの、信仰、争い、善と悪、そういうものがどうなっているのかを感じ取れた。
恍惚感というより、ただ広がる静けさが印象的で、とりたてて語るべきことや示したいことが無く、自らが寡黙になったと感じられた。
広がった世界
しかし、その状態は、ある日些細なことをきっかけに去った。
私はあれを完璧だったと言うつもりはない。
「真理」等に話を飛躍させるつもりもない。
ただあの時の眺めは私の心にささやかな片鱗を残し、ひとつの依りどころとなっている。
感受というものに関する認識を深めてくれた、興味深く、貴重な体験だった。
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