2014年1月27日月曜日

メモの弊害。


メモは必要最小限にしたい。


うつ病がひどいころ、メモ帳が命綱であった。
記憶や思考がまったく信用できないレベルだったため、あらゆることを記録しておく必要があった。
書くこと自体とても億劫であったが、そうしないわけにもいかず、実際メモに救われることは多かった。
その名残りもあろうが、自分は今なおメモをとることが多い。


しかしこのごろ、メモ偏重による弊害を強く感じている。

① 頭で覚える範囲が狭すぎて損をする
「頭に入れておけばとても便利なこと」までも覚えない

② 物事を後回しにするクセがつき、仕事に弾み・メリハリがつかない
タスクをメモすると「これでとりあえず忘れないから一安心」となって、一気に片付けない

これからメモを取るのは、
使うのが先であるため必ず忘れるであろうこと/馴染みがない・複雑だなどの理由で覚えられないこと/万一忘れたら深刻に困ること/
などに絞りたい。それが普通か。

メモらないと不安な質になってしまうと、その作業に追われて気持ちが後手に回り、窮屈になる。
これが良くない。
「忘れる前に片付けしまう」くらいの主体的な勢いを大切にしたい。




価値観はそのままに



瞑想で変わるのは、善悪の判断などの「価値感の中身」ではない。
それら判断にともなう「感触」である。

つまり、
「今までと同じく好きではないが、あまり不快に感じなくなった」とか、
「やはり素晴らしいものだと思うが、何が何でも手に入れようと焦らなくなった」
などのようになる。
執着しないようになるだけで、価値基準は元のままである。

また“達観”と称してすべてを許容・放置する腑抜けになるのでは?と懸念する声もあるが、これも違う。
むしろ善悪のことはハッキリ判り、それに続くアクションも適切・スムーズになる。

記憶が消えたり書き換えられたりするわけでないので、これまでの人生から得た価値観は大きく変わらない。
ただ執着がなくなるのだ。
執着とそれに伴う小さな考え違いや過剰な部分が整理されるだけで、人間はずいぶんバランスが良くなる。

なお、瞑想をやって神懸ったことばかり言うようになる人は、瞑想がもたらす真の恩恵からは外れている可能性が高いと思っている。




 

2014年1月18日土曜日

うつ病と瞑想の関係



「ヴィパッサナー瞑想」「マインドフルネス」を意識した生活をしている。
時々言われるような「神秘体験」や「成功」を期待してではなく、うつ病を治すためにである。

実感として、この瞑想以上に効果が望める方法は考えられない

効果があるというよりも、瞑想は「うつの逆」という気さえしている。

うつ病になる時と、瞑想する時、おそらく精神が通るルートは一緒だ。
うつで通るルートを逆に進むの瞑想なのだ。

うつと瞑想は、表裏一体、双子のような関係にあると感じている。


短時間でも効果があると言われるが、私は「20分」継続できるとかなり違ってくる。
本などにあるような「毎日3時間」は厳しいが、せめて20分は確保したいと思っている。



2014年1月9日木曜日

UNIQLOのハイソックス(Mens)


「ヒートテックハイソックス(2足組)」 ¥990-


上品ぶるわけではないが、椅子などにかけた時パンツの裾から肌やスネ毛が覗くのは確かに見苦しい。
そこでロングホーズ…なのだが、これが安くないのだ。
国産ものでも、信用できそうな品は2,000円近くしてしまう。

そこでUNIQLOのハイソックスを使ってみる。
2,000円あれば4本買えてしまう。
「ブラック」「ダークグレー」の2色展開。
生地は厚めで、こだわり派の諸兄には野暮ったく感じられるかもしれないが、私はそれほど気にならない。

長持ちしてくれることを期待している。