2014年5月31日土曜日

ピンポイントでの修正


ヴィパッサナーやマインドフルネスでは、目的意識などは持たずに「今ここ」に気持ちを置くのが基本である。

しかし、うつ病では「あのとき以降、体調が崩れた」と分かっている場合がある。
さっきあの人と会話してから不調だ、とか、昨夜の飲み会以来おかしくなった、などのケースだ。
それらがさらに別の不調の誘因になったりしないように、早めに修正したいところだ。

なので、「歪みを狙って直す」ことにも取り組んでいる。
やり方はこれまでも書いたとおりだが、「問題となった場面での身体の力みを、なるべく全箇所、同時に思い出す」ことである。


◆全箇所:
その時どういう姿勢をしていて、どこにメインに力が入っていたかは勿論、意識せずに入れていた力も思い出す。
われわれには、何をしていても「完全に休眠している箇所」というのはない。
立とうが座ろうが体中を使っている。
どこか痛むときは、そこを庇ったり抵抗する力も入っている。
また、緊張により腹部に力が入る、などの心理面からくる力みもある。

 ◆同時に:
上記の力みを、最終的には同時にイメージする。
すなわち力みの「分布」を再現する。

 ◆思い出す:
感触や疲労を丁寧に感じ取るように省みる。(今まったく同じように力を入れるという意味ではない)


体調を崩した時の身体の力は、他者の目線に意識が飛んでしまっているなか、言わばヤケクソに発揮されたものだ。
上記のような作業に専念すると、一旦その時の浮わついた心が思い出されつつもやがて落ち着きを取り戻し、それと並行しながら体調がスッと一歩よくなる感覚がある。




2014年5月23日金曜日

自分を守る心構え

 
うつに罹って7年ほど経ったころ、ヴィパッサナー瞑想を知った。

すでに身体に注目する重要性は感じつつあったので効果への疑いはなかった。
とはいえ、それまで長年ネガティブなものを吸い込んだ私の心身は、本来の統制力を欠いてしまっていた。

瞑想をどうにか頑張るしかなかったわけであるが、疲れ果てているが瞑想だけは集中してやれます、とゆくわけがなく、やはり生易しくはなかった。

世間の人の活力に触れるたびに自分の不甲斐なさに落胆し、投げ出したくなる。
そこで頑張るべき理由を振り返り、「自分がすべきこと」に専念する感覚を鍛えて…と、自らを何度も軌道に乗せなおす辛抱の日々があった。

本来は「辛抱」などと考え込まずに粛々と行えれば良いのだが、疲れた日・残念なことがあった日などは、どうしても辛くなる。
そういうときに私が自分に言い聞かせてきたことを、ささやかながら紹介したい。


①人の道に外れなければ、どうであってもよい
→この世で恥ずべきことは「人の道に外れること」のみだ。それ以外、例えば何かが出来ないとか、誰かに負けるとかは人の道は外れていないので恥じる必要はない。他人に迷惑をかけてしまうと申し訳ない気持ちにとらわれるが、病気でそうなっているのだからこれも仕方がない。

②自分の健康が第一
弱っている時に限って、なにか人の役に立ちたくなる(私だけか?人の手助けをしたくなったりする。何も出来ない惨めさから逃れたいのだろう。)人の支えになりたいなら、半端な体調で臨むのは失礼だ。健康であってこそ、何事も最大のパフォーマンスを発揮できる。まずは自分の健康回復以外に着手する必要なし!

③他人を見下してくる人間はもれなく三流。そういう人間に対するコンプレックスは不要
→瞑想が進むとよりハッキリ分かってくるが、人間の行動は大部分が無意味な「発散」である。人を見下すという行為も、本来は必要のない、安易な発散衝動に身を委ねた結果なのだ。そんな自覚もない人間は、どんな地位にいても無知だと心の中で思おう。よりによって他人を発散に用いるなど最低で、それこそ人道を外れている。



以上3つが、私がもっとも愛用していた考え方だ。(もはや瞑想と関係ないです。健康に問題ない方はスルーでお願いします。)

うつ病とは、言いかえれば「惨めさ」との戦いであるから、自分が凹んでしまうことを防ぐために「守りの体制」を強化しよう。
多少甘え・自己中心的な姿勢があってもよいと思う。
真に病気で苦しい人は、自分の健康回復が最優先だ。当然のことである。


心の中で「三流」「無知」呼ばわりした人には、元気になってから内心で謝っておこう。


2014年5月8日木曜日

悟り 3


「悟り」に近づいたと思われる時の話を過去にした。その頃に考えていたこと。

当時、人間には本能しかないという考えに到っていた(→関連の投稿)。
私が辿りついた結論によれば、人間を含めた生物はみな「自らの命を繁栄させようとする」だけの存在であった。

またそこから考えたことがあった。
人間がそれほどシンプルに「より強く生きる」ことだけを目的に作られているなら、「触れるもの全てを好きになろうとする」機能が備わっているはずだ、と。
楽しいことが多いほど、「もっと生きたい」という欲求が湧いて生命力が増強されるからだ。
我々の日常は、ほんとうは数々の喜びに満ちているのではないか、と思えてきた。

「人間が幸福であるために必要なこと」……そのために必要なものは、世間が言うように「自分を理解してくれる他者の存在」かも知れないが、それはあくまで「究極のテーマ」のようなものであり、当たり前だがわれわれの生は数限りない大小の「日常の納得」によって支えられている。
日常が喜びを無数に生み出しているか、そうでないかの違いは大きい。
大きいどころか、それが各人の人生に対する肯定感を決定的に左右し得るだろう。
毎日が「いいことがあった日」のようになれば、それは、気分も明るい。

しばしば私を混乱させてきた、決して恵まれていると言えなさそうな状況にいながら、自信に溢れ明るい人。
彼らの内面に去来しているものを想像できず、羨望のまなざしを向けるしかできなかったわけだが、私ももう少し視野さえ広がれば、彼らに近づくことができるのではないだろうか。
人間はおそらく、ちょっとした危険さえ楽しめるくらいの強靭な内面が備わっているのだ。

何となくの決めつけであった。
しかし日常を丁寧に過ごしてこなかった私にとってそうした考えはとても新鮮で、何よりそれまで半ば諦めてきた「人生をもう少し明るく」というテーマが前進しそうな、希望のようなものを感じさせた。
われわれは「生命力」の完全な支配下にあり、その強大な力を信じて身を任せることが最良であるに違いない、というようなイメージが膨らんできたのだった。

それから私は、生命力を信じて最大限に身の回りを前向きに味わってみるようになった。
例えば「食事」という行為であれば「これまで嫌いだった食べ物からも新鮮な味わいを感じとろう」とか「腹が満たされエネルギーが増す感覚を実感しよう」など、新しい見方を試していった。
生活における活動それぞれが自分にもたらす感覚に、改めて目を向けていったのだ。


* * * * *

上記のような「物事を自分の感受で捉えなおす」という半ば思いつきの行動が、結果的に私にとって、予想しなかった大きな意味を持つこととなった。
その習慣が自分の内面を大量に「観察(ヴィパッサナー)」する行為となったのだ。
つまり自分の内面をよく観察し、瞑想しながら過ごすような形になった。

ものを「視認」できることの安心感。見えるということ自体が素晴らしい。そして光彩に満ちた様々な景色は、改めて見ればどれも美しい。
コップを取るために手を伸ばすことができ嬉しい。腕をそこへ移動させて何かを掴みあげれば、ささやかだが達成感がある。
身体を動かすことは、むろん気持ちがよい。伸び縮みのほどよい刺激と疲れ、自分の身体への愛着。
呼吸も嬉しい。酸素が行き渡る安らぎは、どこまで感じられるだろうか。
八つ当たりなどをやめる自分の誇らしさ。
そんな誇らしささえ捨てれば、さらに清々しさを得られるかもしれない。
……

そんなふうに、五官や内面から喜びの感覚を探し、逆に自分に不快なことをさせないようにした。
義務感からでなく、自分の真の欲求を満たすために行動したのだ。
いつもの安易な価値判断に走らず、感じてみることに専念した。
(ちなみに怠けることやわがままを通すことは、真の快適からは程遠い。言い訳や負い目が生じて忙しくなり疲れることになるので、そういうことは避けるようになる。)

* * * * *

そして時が経ったある日、それまでとは違う驚くような心の静かさが訪れた。(詳細は冒頭のリンクのとおり)。
ヴィパッサナー瞑想というものを知り、その方法と自分がしたことに共通点があったと認識するのはその後しばらく経ってからのことだ。

瞑想については今も謎に感じるところが多く、その仕組みについてもう少ししっかり把握したいと思っている。
認知神経科学、ミラーニューロン、ロボット工学、筋膜など、新しい知見との関連にも注目していきたい。



2014年5月2日金曜日

アピカのダイアリー

 
今日は、文房具の話。
 
日記をつけることがある。
毎日ではないが、主にプライベートのことで、行った場所や買ったもの、自分のなかの流行りなど、たまに書き残しておきたいことがあるのだ。
スケジュール帳は予定管理がメインで、なるべく余計なことは書きたくない。
そこで日記帳代わりにアピカのスケジュール帳を使う。正式な商品名は分からない。
 
 
全部で48ページ(24枚)という薄いつくりだ。
紙は再生紙なのでややくすんでいて、少しにじみやすいかもしれない。
 
 
 ↑ サイズはA4スリム(本体148☓278)という大きめのサイズ。下に敷いた白い紙がA4である
 
↑ メインは「月間横罫」スタイル。ここを主に使う。「月間横罫」型の自然なフローが好きなのだが、昨今希少になりつつあり寂しい

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